昔の職場で先輩から叩き込まれた言葉の中に、今でも私の仕事の土台になっている教えがあります。
「ブランドの看板に頼るな。『お前という人間から買いたい』と言ってもらえる人間になれ。そのためにお客さんを観察して、サイズを聞かずに一発でジャストのGパンを穿かせろ」
当時の私は「そんな無茶な……」と思っていましたが、何千人もの身体を見続けてきた今なら、その意味が痛いほど分かります。 プロの仕事とは、ただメジャーの目盛りを読み取ることではなく、「その人の身体の癖や着心地の好みを、対話と観察で見抜くこと」だからです。
そんな私が普段から仕立てていて、特に面白く、そして最も難しいと感じるのが「ジムで身体をしっかり鍛えている方」のスーツです。
引き締まったウエストに、逞しい大胸筋や分厚い背中。服を脱げば誰もが羨む逆三角形の素晴らしい肉体です。 ですが、スーツの目線で見ると、筋トレをしている方にはある共通のトラップがあります。
それが、これです。
「肩を鍛えている人ほど、実は『なで肩』になっていく」
なぜ鍛えた男は「なで肩」になるのか?

これ、意外とご本人は気づいていないことが多いんです。 懸垂やプレス系の筋トレをやり込むと、首の横にある「僧帽筋」がグッと盛り上がってきます。 その結果、首の付け根から肩先への傾斜が急になり、骨格としてはがっしりしているのに、服を着せると見事な「なで肩」のラインになってしまうのです。
そして、この体型で一番難しいのが「肩の位置が決まらない」ということ。
肩の筋肉(三角筋)が大きすぎると、ジャケットの袖ぐり(アームホール)が筋肉の厚みで斜めに引っ張られて、どうしても窮屈になります。
ここで、よくやるのが「脇の下(鎌)を下げる」こと。 でも、袖ぐりの形状そのものが筋肉のカーブと合っていないのに底だけ深く下げても、腕が動かしにくくなって着心地は余計に悪化します。
かといって、「見た目をスッキリ見せたいから」と肩幅をジャストで攻めすぎると、今度は太い腕(上腕二頭筋・三頭筋)が収まりきらず、着たときに肩先よりも腕の筋肉が外側にボコッと飛び出てしまうのです。
腕が肩より外に出ると、なんだか小さい服を無理やり着ているように見えて格好悪い。 見た目のシャープさを取れば身体が悲鳴を上げ、ゆとりを持たせすぎれば野暮ったい土管になる。このせめぎ合いが本当に難しいところです。
逆転の発想:なで肩こそ「イタリア系のナチュラルショルダー」が一番似合う

でも、なで肩だからといって落ち込む必要は全くありません。 むしろ私はいつもこうお伝えしています。
「鍛えてなで肩になった人ほど、肩パッドのないor極薄『ナチュラルショルダー』がめちゃくちゃ似合いますよ!」
四角い肩パッドでガチガチに固める英国調のスーツだと、なで肩の人はパッドが角張って浮いてしまい、不自然に見えがちです。 でも、肩パッドを極限まで薄くした(あるいは完全に抜いた)イタリア系(ナポリの仕立てなど)の柔らかい肩にすると、自分の鍛えた肩の傾斜に沿って、しなやかな生地がフワリと落ちてくれます。
「服のパッドで肩を作っているのではなく、自分の鍛え上げた肉体の厚みそのものが服を押し上げている」
という、鍛えた人にしか出せない最高の色気とリラックス感が出るのです。 コンプレックスだと思っていた「なで肩」は、イタリアクラシックの仕立てにおいて、最大の武器に生まれ変わります。
最初からは絶対に言ってくれない。だから私は「1時間」話す

仕立てるときは、まず「見た目として一番ジャストで格好良い状態」をお客様に試してもらいます。 鏡を見て、お客様も「お、いいですね!」と喜んでくれます。
でも、ジャストが格好良いのは当たり前なんです。 それだけで作ってしまうと、実際に着て車を運転したり、丸一日仕事をしたりしたときに、窮屈で絶対に疲れてしまう。
だからこそ、「見た目の格好良さ」と「日常生活で疲れない着心地」の落としどころを、お客様とちゃんと話して決めることが何より大切になります。
ただ……最初からは絶対に本音なんて言ってくれません(笑)。
初めて入るお店で、いきなり「実はここがきつくて…」なんて言えないですよね。誰だって最初は緊張しています。 私の肌感ですが、お互いに雑談して、打ち解けて、1時間経ってようやくポロリと本音をこぼしてくれるんです。
「実は以前作ったスーツ、運転するとき肩と脇がキツくて着るのが苦痛だったんですよ」 「二の腕が太すぎて、いつも袖がパツパツで恥ずかしくて……」
この本音を聞けて初めて、その人にとって本当に着やすく、長く愛せる一着が作れます。 「ブランドの看板じゃなく、お前という人間から買いたいと思わせろ」という昔の教えは、まさにこの対話のことだったんだと今になって思います。
街を歩いていても、人の骨格ばかり見てしまう
こんな偉そうなことを言っていますが、私より仕立ての上手い人、凄い職人さんなんて世の中に山のようにいます。 だからこそ完成なんてないし、今でも毎日が勉強です。
完全に職業病なんですが、休日に街を歩いていても、 「あ〜あの人は鍛えてるから強いなで肩だな」 「あの歩き方だと腕回りと肩幅のバランスが難しそうだな」 なんて、無意識に人の癖ばかり目で追ってしまいます(笑)。
筋トレをしていてスーツが窮屈に感じる方、肩や腕回りが合わなくて疲れてしまう方。 まずはコーヒーでも飲みながら、ゆっくり1時間お話ししましょう。緊張せずに、あなたの身体の悩みと本音をそのまま聞かせてください。

